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北條三氏の墓

日本, 〒869-2402 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺2225

北條三氏の墓
墓地
4.5
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33GW+W8 南小国町, 日本、熊本県
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MA HARA
MA HARA2 年前
九州の臍熊本県小国町満願寺傍ですが少し探します、川沿い左地蔵右開けた台地に赤い建物屋根に北条氏の三つ鱗、その左側に在ります
最近の研究で足利尊氏公が九州で態勢を立て直せたのは何故か?
其れは正妻赤橋通子の兄赤橋英時の鎮西探題の治政が良かったで残ってるのが此処だけ?
元寇に関してはアンゴルモア元寇合戦記というアニメ作品で中国ユーザーと色々な割には興行的に余りだった様です。
九州御家人も奮戦したものの報奨が余り
足利尊氏の覇権に協力したものの菊池氏の奮戦か征西府が長く続く事に。
菊池氏の史跡が残る山鹿市まで1時間半位です。
Mikio anai
Mikio anai2 年前
この場所へのルートは立護山満願寺より近道を写真(説明追加)を撮りましたので、分かりやすいと思います。
時は鎌倉時代までさかのぼりますが、鎌倉幕府の執権を握っていたのが北條時頼でした。その弟が北條時貞で九州の中央部であり、弘法大師のゆかりの地でもあるこの地に五坊(五つのお寺)を建て、満願寺と総称したのであります。北條時貞の目的は鎮西奉行として元寇を防ぐことにありました。
そして、三軍の将となり、三度も元寇を防いだのであります。(現在の福岡市姪浜)
鎮西奉行としては三代にわたり務めを果たし、時は過ぎて三代目の孫治時の時、鎌倉幕府は滅びたのです。
その三代にわたった「北條三氏の墓」中央の一番大きい墓が北條時貞・左側が北條定宗・右側が北條随時であります。
もし、この三氏が元寇を防いでいなかったら、日本の歴史は大きく変わっていたことでしょう。
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