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宮道朝臣列子墓

日本, 〒607-8212 京都府京都市山科区勧修寺西栗栖野町

宮道朝臣列子墓
墓地
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XRC4+45 京都市, 日本、京都府
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Maboo Nakano
Maboo Nakano2 年前
宮道列子(たまこ)の墓つまり中臣十三塚の一つ宮道古墳ですね。列子は、藤原高藤の妻でも有り、宇多天皇の皇后となった胤子の生母で有り、その胤子が醍醐天皇を生んだ事で、列子は天皇の外祖母に。結果 宮道家も大いに繁栄した様で父の居宅は高藤により仏寺(勧修寺)となり宮道神社も造られた。余談ですが。
迷企羅大将
迷企羅大将2 年前
宮道弥益(ミヤジノイヤマス)の娘が烈子(レッシ)。「今昔物語」によると藤原冬嗣の孫の高藤が鷹狩りに出かけ悪天候で帰れず一夜の宿を請うたのが弥益邸。出会った烈子と15~6の高藤はごちゃごちゃと。無断外泊をした高藤は遠出を禁じられ烈子と再会したのが6年後。娘の胤子(インシ)と烈子を自宅に引き取った。後に胤子と宇多天皇との子が醍醐天皇となる。
Grunge Bilstein
Grunge Bilstein2 年前
ある日、何気なくGoogleマップ先生の履歴を見ると、漢字だらけのよく分からない(マジで)場所に訪れたことになっていた。
…ファッ!?
イヤイヤ、ドコやねんここ…行ってへんよ?
全く記憶にございません状態やねんけど!
それがコチラ、宮道朝臣列子墓(みやじのあそんれっしのはか)だったのです。

なっ…何モンやねん…??
というとワケで、この宮道朝臣列子という人をググってみるとですね…。
どーやら…

・醍醐天皇(誰?)の祖母に当たる人だった
・紫式部の祖先だった
・源氏物語の明石の君(誰?)のモデル
・玉の輿という言葉の由来になった(諸説あり)

…というエキサイティングな武勇伝の持ち主だったりするのですが、歴史や文学に関して1ミクロン足りとも無教養のワイ、全く動じず。

しかしながら、その時のノリとテンションで突撃してみました。
その現地はバリバリの住宅街。
史跡がある場所とはいえ、体重178kgのワイがうろつく姿は端から見れば完全に不審者。

そこはこんもりとした小さな丘になっており、その前に石標が2つ立っていました。
その日はクッソ寒かったにもかかわらず、黄色いお花が咲いてりゅ~♪
地元の人が植えたのかな?
そのすぐ横に階段があり、私は丘の上に。
そこには石碑とチビ太のおでんの様な形の五輪塔が。
石碑と五輪塔、どちらがお墓なのだろうか。
周囲は定期的に管理されているらしく、綺麗でした。

こんなマイナーな場所に訪れるのは相当なガチ勢で、ヘヴィな歴史や文学マニアの方だけだろうなぁ…。
でも地元の人に大事にされているんだろうな、とも思いました。

そして何故ワイのGoogleマップ先生はココに訪れたことにしたのだろーか?
そんなアンニュイな昼下がりの日曜日、首を傾げる私だったのでした。
泉山展義
泉山展義2 年前
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