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安藤正次墓所

日本, 〒547-0043 大阪府大阪市平野区平野東2丁目11−5

安藤正次墓所
墓地
3.7
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JHF5+CF 大阪市, 日本、大阪府
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じーすぅ
じーすぅ2 年前
大坂夏の陣の徳川方の旗本。5月7日、大坂城落城の直前に徳川秀忠の使者として前田利常、本多康紀両軍に敵陣への攻撃を伝えた。その際、数騎の敵と遭遇し単身で戦い、敵方の首級を挙げたが自らも深傷を負った。家臣に助けられ本陣に戻り、秀忠から高名したと賞賛された。宿所の平野郷願正寺にて傷の療養をしていたが、再起不能と悟って19日に自刃した。享年51歳。
門がありますが、中に入って見学もできます。
墓所の傍らにある石盥盤(いしたらいばん)は正次の曾孫・安藤定房が1701年5月19日に寄進したものです。
近くには願正寺もあります。
Yoshikatsu Okuno
Yoshikatsu Okuno2 年前
樋ノ尻口地蔵の対面に安藤正次の墓がある。
1615年5月7日大坂城落城の寸前、伝令として駆けていた彼は不幸にも豊臣方兵士に遭遇、重傷を負う。
近くの願正寺で手当てをしていたが傷癒えず自刃を決意する。
その地に立派な正次の墓が建てられた。
この平野の辺りは徳川軍の通過地点だが、400年後の今もその様子が残っているように思える。
上田俊英
上田俊英2 年前
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