/Toshima/墓地

大塚楠緒子の墓

日本, 〒171-0022 東京都豊島区南池袋4丁目25, 雑司ケ谷霊園

大塚楠緒子の墓
墓地
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PPF9+FG 豊島区, 日本、東京都
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Seiichi Ota
Seiichi Ota2 年前
1875年8月9日 - 1910年11月9日

明治末に活躍した歌人、作家。
別名:久寿雄子・楠緒・楠緒子。才色兼備で夏目漱石が恋した人として知られる。
夫は美学者の大塚保治(入婿)。

東京控訴院長・大塚正男の長女として東京市麹町区一番町で生まれる。
麹町の富士見小学校出身。東京女子師範附属女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)を卒業後、佐佐木弘綱・信綱の元で和歌を学んだ。
1895年、小屋保治と結婚(保治は大塚姓になった)。夫が留学中、英語を明治女学校で学ぶほか、絵画を橋本雅邦に師事、ピアノや料理なども学んだ。

雑誌『太陽』1905年1月号に日露戦争に出征した夫の無事を祈る妻の心情を歌った「お百度詣」を発表した。また万朝報や朝日新聞に連載小説を発表するほか、ゴーリキー、メーテルリンクなどの翻訳や、絵画、ピアノなど多才であり、才色兼備と言われた。

1910年、流感に肋膜炎を併発し、娘3人と息子を残し、大磯の別荘で死去。楠緒子の死後、夫を通じて交流のあった夏目漱石は「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という句を詠んだ。密かに漱石が恋した女性と記述される事もある。
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