/Gunma Prefecture/

岩櫃城跡

日本, 〒377-0801 群馬県吾妻郡東吾妻町原町

岩櫃城跡
4.1
251 レビュー
8 コメント
方向の指示
HR53+RX 東吾妻町, 日本、群馬県
iwabitsu-sanadamaru.com
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ナナシナニガシ
ナナシナニガシ2 年前
登山口の横から城址へ続く道へ、尾根沿いか沢沿いか選べます。尾根から行き、帰りは沢と思っていたら案内がなくピストンで帰路。残念です。ズックでいって落ち葉で滑りそうになったので最低でもスニーカーがお勧めです。子供でも大丈夫だと思います。岩櫃山登山のついでに立ち寄っているらしい方もいますし、若い女性やご高齢者が沢と尾根をトレッキングにされているようでした。登山靴の方が多かったです。
駐車場から坂道を登ると清潔なトイレのある案内所、トイレ意外閉まってました。
なだらかな坂道かほぼ平らな道が平成に均されて歩きやすくなっています。本丸に近くなると、高さのある木の階段が数ヶ所、全部で40段ほど。
本丸からの景色は素晴らしかったです。
登るときは、立ち止まって見知らぬ方との長いお喋りや、植物の観察や、単なるお喋りをしながら、なんだかんだと30分で本丸へ。
案内には15分とありますが、登山のように黙ってサクサクで15分なのだと思います。
Cake o
Cake o2 年前
駐車場がしっかり整備されている。
城跡の案内所まで歩いて数分。
案内所にはトイレ完備。
パンフレット等豊富に用意されている。
駐在する係の方が親切に案内をしてくれる。
城跡は歩いて15分ほどの山の中腹。
そこから少し登ると岩場から眺望あり。
山頂を目指すならそれなりの靴が必要。
山様を撮影するなら郷原駅。
Ngngst3
Ngngst32 年前
岩櫃城の築城時期は定かではなく南北朝時代に最初の城主として吾妻太郎行盛の名前が資料上出てくるとのことです。戦国期には武田信玄が真田幸隆に攻略させ、その後嫡子の信綱、信綱の長篠合戦での戦死後は、三男の昌幸、信幸と引継がれ、関ヶ原合戦後は廃城となったそうです。
当日は車で訪問し、平沢登山口の駐車場に停め登山しました。70台くらい止められるので安心です。平沢口の案内所で続100名城のスタンプと、御城印を購入しました。当時の模型も見れるので登る前にイメージがつきます。整備されているので中城、二の丸、本丸や大規模な竪堀、土塁も確認でき、山の地形を活かし天然の要害を感じることができ、真田昌幸が武田勝頼を迎えいれ籠城できていれば、織田軍も相当苦戦したのではないかと思います。
本丸に登る途中で、藪の中からガサガサと音が聞こえ、黒い物体が目の前を通り過ぎていきました。一瞬の出来事で周りの登山客の方も熊派と鹿派で分かれていたので結局どちらか定かでないですが、熊の目撃情報も多いようです。案内所で熊よけの鈴が300円で売ってあるので、是非購入して登山することをオススメします…
有名な岩肌の写真は、車で5分程度行った郷原駅近くから撮影できます!
M Sousou
M Sousou2 年前
真田氏ゆかりの山城で、真田昌幸が武田勝頼を招き入れ、織田信長に徹底抗戦を考えていた難攻不落の城でもあります。(実現はしませんでしたが)岩櫃城跡に行くには平沢登山口駐車場に車をとめます。岩櫃城跡をGoogleマップのナビで検索し、誘導の通りに進んでいけば着くことができます。岩櫃城跡に入っていく道は途中狭いところもあるので、正しい道かどうか不安になるところもありますが、間違いに気をつけながらも、どんどん進んでいきましょう。平沢登山口駐車場はかなり広い駐車場で、そこに車をとめ50メートルほど歩くと岩櫃城跡の観光案内所(平沢登山口観光案内所)がありますので、必ずガイドマップをもらいましょう。ここでお勧めなのは、ボランティアガイドさんがいらっしゃいますので案内を頼むということです。事前に観光協会に電話をしておけば確実だと思います。私の場合、偶然ガイドさんの方から案内を申し出ていただき、お願いしました。ご存じのように山城は建物や石垣が残っておらず、分かりにくい場合が多いので、案内していただければ確実です。所要時間は40分くらいかと思います。岩櫃城跡には一般の方には分からないような見学スポットもあり、そこにも連れていってくださいました。(入っていく道が、言われなければ道だと分かりません)ガイドさんはとても親切な方でしたので、丁重にお願いしましょう。また途中に登山口の案内板がありますが、ガイドさんによると鎖場が2箇所あり、転落事故が何度も発生しているような場所であるらしいので、思いつきで気軽に行くのはやめた方が良いと思います。(岩櫃城跡の見学は問題ありません)あと、写真でよく見る岩櫃城の断崖絶壁はここからでは見えません。JR郷原駅から見えます。郷原駅までは車で15分くらいで、駅前は少し広くなっているので駐車できます。詳しくはガイドさんにたずねてください。
Yashichi Yashichi
Yashichi Yashichi2 年前
真田家の、沼田城から上田城を結ぶ重要拠点の城

当時、対織田徳川に対し劣勢になった、武田勝頼を迎える為、真田昌幸が整備したことでも知られます。歴史に「もしも」は無いのですが、岩殿城でなく岩櫃城へ退却して軍を整えていれば、武田家滅亡は遅れていたかもしれません。
本丸までのルートで「尾根通り」を選ぶと、竪堀を登る為、しっかりした靴での攻城をお勧めします。雨上がりや、体力に自信がない方は「沢通り」がお勧めかもしれません。
Ranta_ t
Ranta_ t2 年前
2021年年末に訪れましたが、雪が降る中の登城となりました。
長い間訪れたいと思いつつ日帰りでは無理と考えていたため年末の休みが取れた機に訪れました。
群馬原町駅から徒歩で向かいましたが、城域は広く駅から800mほど進んだ所にある登り坂番匠坂から城域となっている様で、登りきった場所に木戸跡がある事からその内側は外郭という位置付けだったのでしょう。
平沢登山口の案内所は年末のため休業でトイレも多機能トイレのみ使用可能でした。ただ山小屋は空いていてパンフレットも入手出来ました。
それから尾根道を進んで本丸まで到達しましたが、やはり山城としての遺構は充分で、特に竪堀が印象的です。
その後は沢沿いから登山口まで戻りましたが、常に見下されている感があるのが印象的なルートでした。
この城が築かれた時期は定かでありませんが、吾妻行盛と呼ばれる人物によって築かれたという伝承がある様です。
確かな所では行盛の子とも云われている斎藤憲行に始まる岩櫃斎藤氏の居城として用いられていたそうです。
もっとも城が現在の形になったのは真田氏の時代と思われます。
岩櫃斎藤氏は1563年から城主憲広が武田氏家臣の真田幸隆に攻められ、城を巡る争いによって、1565年に憲広の子である憲宗が自害した事で滅亡したとされています。以降は真田氏が城主を務めた様です。
真田氏の主家である武田氏が滅亡の危機に瀕した際、城主昌幸が武田勝頼を招こうとしたエピソードは有名ですが、実現せず武田氏は滅亡しました。
1590年からは真田信之が城主を務める沼田城の支城として用いられる様になったそうですが、1614年に一国一城令の影響で城は破却された様です。ただ徳川家康が城下の賑わいに不信感を抱いたという説もある模様です。代わって麓に陣屋が置かれて周辺の統治が行われたとされています。
Pink gin
Pink gin2 年前
車だと苦労もなく登れます。徒歩だと最寄駅からほぼ登りで距離もあるので大変です。
城址としては岩櫃山まで行くことを考えなければ、1時間あれば十分見て回れます。整備もされていますので回りやすいお城です。
Kimata224
Kimata2242 年前
尾根ルート、沢ルートがあり、尾根は健脚が必要でした。道は狭く、掘り込まれ、高い周囲から狙われ放題。本丸前も切り立たせてあったり、複雑にスペースが作られているよう。山道は複雑で道案内無しでは危険だったのでは。
大きな火山岩の奇岩が尾根に幾度も現れ、よじ登る羽目になる。道案内無しに城に辿り着くのも難儀だし、守り側は城に籠らなくても、容易にワナで闘ったろう。
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