/Hamamatsu/

二俣城跡

日本, 〒431-3314 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣990

二俣城跡
3.9
311 レビュー
8 コメント
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VR65+RH 浜松市, 日本、静岡県
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上山貴久
上山貴久2 年前
周りを天竜川に面し、天然の要害に築かれた城。徳川家康VS武田信玄、勝頼親子との攻防戦が繰り広げられたことで有名。堀や石垣の様子が良く残っていて、天守台らしきものもあり、写真でよく紹介されているところだ。本丸跡では、地域の方々がゲートボール?グランドゴルフ?を楽しんでおられた。
朧月夜
朧月夜2 年前
小高い丘の上にある城址公園。
土塁などが思いの外残っており、整備されすぎていない感が、むしろ好感が持てます。

河川敷へと続く竹林の道も含め、肩ひじはらず地域に馴染んでいるように思えます。
Ngngst3
Ngngst32 年前
今川義元の家臣の松井宗信が笹岡古城にあった城を天竜川を見下ろす現在の場所に移したのが始まりといわれています。今川氏の滅亡後は武田氏の傘下となりますが、家康により落とされますが、再度武田信玄の遠江侵略の際に二俣城攻略の主将となった武田勝頼は攻めあぐねたものの、籠城軍が天竜川河畔に水の手櫓を築いて水を確保しているのを発見し、天竜川に大量のいかだを流して水の手櫓にぶつけて破壊させることに成功し、水の手を失った籠城側は戦意を失って落城したというエピソードが有名です。長篠の戦いの後再度徳川が落とし、大久保忠世入ります。1579年には家康の長男信康が織田信長に武田氏との内通を疑われ、二俣城で切腹するという事件も起こっています。徳川氏の関東移封後は堀尾吉晴が浜松城に入りますが、関ヶ原の戦い後に堀尾氏の転出とととに廃城となりました。
7月平日の夕方に車で訪問しました、二俣城の入り口を少し過ぎたところに5台程度の駐車場があります、駐車場までの坂道が狭いので注意してください。登城口から階段を上がり本丸と北曲輪の間に作られた小さな橋をくぐると、左手に石垣で築かれた食い違い虎口、その後ろに本丸が広がります。本丸には野面積みで作られた天守台がきれいに残っており印象的で、天守台に登って本丸を見渡すこともできます。川側には木々が生い茂っているため、天竜川の流れをよく見ることはできませんでしたが、当時の縄張りから二俣城がいかに天然の要害だったか伺い知ることができます。
DC有楽
DC有楽2 年前
駐車場からは本丸までは5分程度です。天守台の石垣が歴史を感じます。奥の大堀切をさらに進むと天竜川沿いの土手に出ます。その先に見えているのが鳥羽山城です。そちらにも遺構が多く残っているので是非一緒に訪問してみては?
あしひろ
あしひろ2 年前
2022/9/4
こんなに有名な城でこんなに綺麗に遺構が残っているなんてほんとに素晴らしい。虎口は石垣でできており、土塁にも石積みが見られる。堀切は戦国のものかもしれないが、遺構のほとんどは慶長年間に堀尾氏が造ったのではないかな。いずれにしても感動ものである。
ヤマトタケシ吾唯足知
ヤマトタケシ吾唯足知2 年前
2022/11/9訪問。9:10二俣本町下車 下車人員1名 約11分で二俣城入り口。そこの舗装路を登ってゆくと搦手門をかすめて東門跡に至ります。東門跡を入ると本丸と二の丸の間の中仕切門跡です。中仕切門跡から本丸を見ると奥の方に忽然と天守台が見えます。なかなか良い風景です。入り口から30分で全体をめぐりました。案内に従い鳥羽城に向かいます。途中西の丸があるはずでしたが判りませんでした。山を下りきると天竜川の堤防に出ます。ぱっと視界が開けて美しい風景が印象的でした。堤防から5分くらいで、鳥羽城の遊歩道に取り付きます。そこから20分ほどで、本丸です。二俣ー鳥羽をぜひ歩いてください。
陸田真宏
陸田真宏2 年前
武田信玄が天竜川に大量の筏を流し、井楼の柱を壊し攻略した『二俣城の戦い』や、家康の嫡男の『信康が自刃した場所』として有名。本丸には、戦国時代の天守台が残されていて、当時に思いを馳せることができます。
また、南には鳥羽山城跡の鳥羽山公園、北には非業の死を遂げた信康の霊廟がある清瀧寺、本田宗一郎ものづくり伝承館があるため、ハイキングで合わせて訪れることをお勧めします。
チタオチャン
チタオチャン2 年前
天竜川を眼下に、遠州の守り城であった為、徳川、武田攻防の舞台になり、水攻めで落城し有名。北曲輪からくい違い虎口を入ると、天竜川急峻崖上に野面積み石垣本丸跡があり、この上に掛川城の様な二層、三層の天守台を想像、その面影を偲ぶ。南東側には天守を囲むように土塁が囲み枡形門を経てニノ曲輪に続き蔵屋敷へと続く。よく管理整備された城跡公園です。
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