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白虎隊自刃の地

日本, 〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢155

白虎隊自刃の地
史跡
4.2
234 レビュー
8 コメント
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GX33+7M 会津若松市, 日本、福島県
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五感クチコミ
五感クチコミ2 年前
よみ:白虎隊自刃の地(びゃっこたいじじんのち)
メモ:白虎隊が自刃をした場所で歴史的かつ
会津の街並みが見える観光スポット
料金:無料
日時:11月上旬(土)の夕刻16:15頃
混雑:なし

【視覚(景色)】
白虎士中が自刃した場所の碑があります。
会津の街並みも見ることができ、よい景色です。

【聴覚(雰囲気・歴史)】
戸ノ口堰洞(とのぐちせきどうけつ)から敗走し、飯森山の中腹であるこの場所で自刃しました。
当時は新政府軍の攻撃で燃え盛る会津の街を見て、戻って捕らわれるよりも自刃を決意したとのことですが、現在この場所から見える景色は綺麗な街並みです。

【味覚(売店など)】
ここに来るまでに通る可能性の高い、飯盛山仲見世に飲食販売店がいくつかあります。

【触覚(気温)】
11月上旬は寒いです。少し厚手をオススメします。

【嗅覚(匂い)】
歴史と飯盛山の自然を感じられます。
Michael Su
Michael Su2 年前
飯盛山の山腹にあるので、下から徒歩でお墓のあるところまで来るのは体力が必要ですが、有料エスカレーターを使えば、かなり楽勝です。
1人250円ですし、下りは徒歩でおりるしかないので、これでさくっとあがって上を見学する時間を増やす方が良いのかなと思います。
上にあがったら、まずは100円でお線香を買い、左手奥でお線香をあげましょう。ただ100円を入れる箱がボロボロすぎて、ちょっと引きます。もう少しきれいな箱に取り換えて欲しいです。
自刃の地へは右手の道を進み、2,3分歩くと墓地が見えてきます。現地からは目をこらすとお城が見えますが、かなり小さいため、見つけても微妙です。
合掌。
上弦ノ壱黒死牟
上弦ノ壱黒死牟2 年前
「戊辰戦争」の激戦地である会津若松にある飯盛山は、あの悲劇の死を遂げた“白虎隊”の終焉の場所である。
仲見世を通るとスロープコンベア(有料)があり、楽に山頂まで行ける。

白虎隊は会津藩が編成した四つからなる組織で「朱雀隊」「青龍隊」「玄武隊」「白虎隊」でそれぞれ年齢別に構成されている。
白虎隊は年齢の若い16歳から17歳の会津藩士の子息によって構成されており、白虎隊は実際の戦闘に出る予定はなく、主に城の警護が主な任務であり、予備隊という位置づけ。
しかし、戊辰戦争が始まり戦場が会津に移ることで、藩主松平容保公から出陣命令が下され、白虎隊は戦火の中に身を投じる事となる。
白虎隊は、戸ノ口原での戦場で多くの負傷者を出したことから、戸ノ口堰洞穴を通って飯盛山に逃げ延び、城に戻って戦うか、ここで自刃するか激論した末自刃の道を選択する事となり、隊士20名が自刃する事となった。しかし、20名の隊士の内の一人“飯沼貞雄”(幼名貞吉)は自刃の際急所を外し死にきれず飯盛山に引き上げた二十名の白虎隊士の中で唯一の生存者になった。
戊辰戦争・白虎隊の自刃に至るまでの詳細を貞吉が語ったことで、白虎隊の真相物語が世に知られる事となる。お墓には、飯沼貞吉の遺髪と歯が納められています。会津若松に観光に行ったら必ず行く事をお勧めします。
AHO
AHO2 年前
諸説ありますが兎にも角にも悲しい場となった事には変わりはありません。
何時行っても線香が絶えず炊かれており白虎隊への現代の方々の気持ちが現れています。
潔く腹を切る、自刃、自爆する、江戸末期も大戦中も必要の無い犠牲がありました。今後の世の中で同じ事を繰り返さない、人は変われる事をしっかり伝えていきたいです。
5ペンたろう
5ペンたろう2 年前
戸ノ口原の戦いで西軍(政府軍)に敗れたことを復命するために弁天洞窟(戸ノ口堰洞穴)を通って退却してきた白虎隊士たち。この地からかすみに覆われた鶴ヶ城を見て落城したと誤認し、ここで自決したという。解説板、鶴ヶ城を望む白虎隊士の像があります。現在でも会津若松城を遠くに望むことができます。城は高くぞびえるアンテナの真後ろにあります。
下から飯盛山動く坂道で上がることができますが、できれば戸ノ口堰洞窟からさざえ堂を経てこの地へ向かうことをお勧めします。
めっこめこ
めっこめこ2 年前
とにかく体力に自信のない方は勇気を出して下さい。わたしは体力に自信がないので辛かったですが、良いものが見れました。
周りの皆さん、お城の位置どこどこー?って言ってる方が多かったです。
分かりにくい方は、わたしの写真を参考にしてください。
長いポールがある写真がありますよね?
そこを目印に見るとお城の位置が分かります。ポールは比較的探しやすいです。
澤成
澤成2 年前
会津戦争!勘違いから、少年たちが腹を切ったとされる地。
得てして悲劇とは、そういうものかもしれない?
今ここから眺める会津の風景は素晴らしいが、白虎隊の少年たちには絶望の風景にしか見えなかっただろう。(合掌)
喜谷健太郎
喜谷健太郎2 年前
『戦場の霧』と言う言葉がある。平たく言えば『極限状態の戦場では見えるモノも見えなくなったり正しく認識できなくなる』と言う意味がある。そんな霧を確認したくて、喜谷さんは飯盛山に登った。

白虎隊は飯盛山から見た鶴ヶ城が落城したと誤認して自刃を選んだと言う。飯盛山から鶴ヶ城までは直線で3㎞弱。そんなに判りにくいのか?と言うのが長年の疑問だった。写真は自刃の地から撮影した鶴ヶ城。写真中央の緑の帯が鶴ヶ城だ。比較的よく見える。でも散々闘って疲れ切った少年達には、もう冷静に情勢を分析できる余力は残っていなかったのだろう。『戦場の霧』に包まれた少年達の何とも悲しい最期か…

現在も戦争状態に陥っている国がある。せめて子供達だけはそんな霧に呑み込まれる事が無いことを、いまの喜谷さんには祈るしか出来ない…
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