/Chiba/史跡

御茶屋御殿跡

日本, 〒265-0074 千葉県千葉市若葉区

御茶屋御殿跡
史跡
3.2
25 レビュー
8 コメント
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J688+84 千葉市, 日本、千葉県
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中山家範
中山家範2 年前
徳川家康が東金への鷹狩りのために休息所として造営したものです。
このような御殿は千葉市のほかに御成街道の起点である船橋に「船橋御殿」、 お狩場である東金には「東金御殿」が設営されましたが、 寛文年間(1661~72)に取り払われて、 その跡地も現在大きく改変されています。
この御茶屋御殿もほぼ同じ頃取り払われたものと考えられますが、跡地は良く旧態を止めています。
御殿跡は一辺約110mの方形で、周囲に幅約5mの薬研堀の空堀と高さ約2.5mの土塁をめぐらし、南北2ヶ所に出入口があって、その内側に桝形土塁が構築されていました。
内部の遺構については発掘調査により、主殿と思われる基壇部分のほか、長大な掘立柱建物跡群や井戸跡の他、 17世紀中葉の陶器などの遺物も発見されています。
【現地案内板より抜粋】

御成街道から約10間北側、はっきりとした薬研堀と土塁によって、徳川将軍家の威光がうかがい知れます。
薬研堀は、落ち葉などの堆積によって、堀底がだいぶ平坦になってしまっていますが、土塁とのセットで、単純ながらも高度な防衛力となっています。
雑草が生い茂っていますが、見学路の草刈りはしっかり行ってくれています。
橘フリム
橘フリム2 年前
御殿跡のすぐ南に東西に走る道路が東金御成街道であり、徳川家康が東金に鷹狩りをするためにつくられた。その途中に休息所として建設されたのがこの御茶屋御殿だ。
目立つ看板等はないが、東金御成街道沿いに標柱が立っている。この標柱の立っている所から林の中に入ると説明板もある。明確な駐車場はないが説明版の前が空き地になっているので駐車は可能。そこから北へ林の中を進むと土橋、空堀、土塁が良好な状態で残っている。南北の入り口には枡形の土塁もあったようだが、それは完全に取り払われている。
内部は腰から胸にかけて雑草が茂っているだけで何もない。見学のためにか、中央部まで細く通路状に草が刈られているほか、若干荒れ気味だが土塁に沿って四方も草が刈ってあった。私は城郭跡の散策が好きだから、深い堀と高い土塁に感激したが、そういうものに興味がない人にとっては☆1すら評価する気にはならないだろ。
大多数の人からすればちっとも興味が湧かないだろうし立地的にも公園等に活用できるものではないが、それでも雑草を刈り維持管理してくれていることに感謝したい。(欲を言えば、空堀内の雑草をもっと取っ払ってもらいたいけど)
テレちゃむ
テレちゃむ2 年前
徳川家康が東金に鷹狩りに行く際に利用した御殿跡。正方形に土塁が巡らされており、空堀も当時は薬研堀だった跡が垣間見える遺跡です。
ふくちゃんふくちゃん
ふくちゃんふくちゃん2 年前
もう少し早い時期に来れば銀杏の木が綺麗だったかも。
AKILO SIMZ
AKILO SIMZ2 年前
雑木林と草っ原みたいになっていますが、土塁や薬研堀の空堀が残っています。
岡ちゃん
岡ちゃん2 年前
御殿跡地までクルマで入れません。敷地内入ったスグに駐車し歩いて行きますが、雨が降った後は途中足元悪いです。
なーて
なーて2 年前
今では、タンポポ…ではなく、ブタナが咲き乱れる空き地となっています。
Pen pen
Pen pen2 年前
面積は約3,600坪。徳川家康の休憩や宿泊のために造られた御殿は日本全国で40カ所あるが、その中でも全面的に遺構が残ってる貴重な史跡です
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