/Chino/史跡

大祝諏方家墓所

日本, 〒391-0013 長野県茅野市宮川

大祝諏方家墓所
史跡
3.6
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X4WH+24 茅野市, 日本、長野県
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KEI
KEI2 年前
守矢史料館の南側の山手にある諏方家の歴代墓所。
諏訪神社の現人神で、NO1の神職であった大祝(おおほうり)を努めた諏方家の墓所ですが、今は参る人もなく、単に岩が並ぶ荒れ地に見えます。隣接して、大祝家の筆頭家老職であった土橋家の墓所もありましたが、こちらはさらに荒れて、一見して墓所とはわからないほどでした。
守矢史料館の裏手のこの丘が古代から中世の諏方盆地の人々にとっての重要な聖地であったことを感じることのできる場所でした。
姫川玲子
姫川玲子2 年前
大祝歴代墓所。
周辺に駐車場がない。守矢史料館の駐車場に置かせてもらいセットがオススメ。バイクであれば脇に駐車は大丈夫と思う、傾斜あるので置きゴケ注意です。
S m
S m2 年前
諏訪大社大祝諏方家の歴代墓所です。神長官屋敷から泥船への途中にあります
Yamakiya Shouzaemon
Yamakiya Shouzaemon2 年前
JR中央本線「茅野駅」から車で約10分、徒歩では約40分、中央自動車道「諏訪インター」から車で約10分の「茅野市宮川」「神長官屋敷」西南にある墓所だ。「諏方」氏は代々「諏訪大社」の「大祝(おおほうり)」を努めてきた一族で、「出雲神話」における「高天原/たかまがはら」を追われた「素戔嗚尊/すさのおのみこと」の裔「大国主神/おおくにぬしのかみ」次子「建御名方神(たけみなかたのかみ)」にはじまるともいわれ、1587(天正15)年「諏訪頼廣」が「諏訪大社上社」の「大祝」に就いて以後、藩主家を「諏訪」大祝家を「諏方」と書き分けるようになったという。墓所は当初「少林山頼岳寺」にあったが、求められて「神長」の墓地が「熊野堂」へ移った後の現在地に移され、「諏方頼廣」から15代の当主とゆかりの人を祭っている。1871(明治4)年「太政官布告」により神職の世襲が廃止され、さらに2002(平成14)年9月1日「諏方弘」氏が亡くなって、「諏訪大社上社」の「大祝家」は跡絶えたという。
Pat派渡(ぱと)
Pat派渡(ぱと)2 年前
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