/Nagano Prefecture/史跡

昇魂之碑(御巣鷹の尾根)

日本, 〒370-1617 群馬県多野郡上野村

昇魂之碑(御巣鷹の尾根)
史跡
4.5
123 レビュー
8 コメント
方向の指示
2M2V+7W 上野村, 日本、群馬県
8-12.moo.jp
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K yama
K yama2 年前
事故から37年が経ちましたが、重大事故の悲惨さと教訓を今も伝えています。520名の犠牲者の方の無念さと命の尊さを感じることが出来ると思います。特に交通関係従事員の方には一度行って手を合わせていただきたいです。
駐車場から約700mの地点に慰霊碑があります。そこまでは遊歩道が設置されていますが、かなり険しいのでしっかりとした服装や靴でお出掛けください。なお11月15日夕方4時から冬季閉鎖です。
Yoshitaka Sumino
Yoshitaka Sumino2 年前
2022.8.15
7年ぶりに御巣鷹の尾根に行ってまいりました。令和元年に発生した台風19年の影響により、登山口に至るまでの村道は、仮復旧の状態であり、落石や倒木がありました。
旧登山口から徒歩で登り始めましたが、以前は登山口にあった看板はなくなっており、山中には、土砂崩れによる土砂が流入しており、以前の景色とは大分変わっていました。また仮設材による通路が、整備されており、復旧中であることは、一目瞭然です。
あの痛ましい事故から37年が経過し、急峻な現場は、当時のままですが、自然災害により崩落しないことを祈るばかりです。
よっぴ
よっぴ2 年前
2022.8.8
事故から37年になる今年も、慰霊登山をしてきました。
登山口までの道も完全復旧ではなく、一時的に通行可能としているだけで、落石だらけでした。
登山道も一部損壊し、昨年とはルートが変わっている部分がありました。
毎年の様に天災で道路も登山道も損壊するため、維持だけでも大変なのがよく分かります。
猛烈な火災の中焼け残ったと言われる沈黙の木も、崩れかけていて、いずれ形を留めなくなってしまうでしょう。

地元の学生が語り部から事故の話を聞き、事故でなくなってしまった坂本九さんの代表作である上を向いて歩こうを楽器演奏していて、なんだか感慨深かったです。
こういう取組みは是非続けてほしいです。

2021.8.16
昭和60年(1985年)に発生した日航機123便墜落事件後、初めて、慰霊登山をしました。
2021年で事件から36年が経ちます。
よくも悪くも、その後、日本の航空会社は飛行機墜落事故を起こしていませんが、さぞ教訓にしていることでしょう。
2021年3月にフライトレコーダの開示を求め遺族が提訴、6月にその第一回口頭弁論が行われました。
いまだに、戦っている遺族がいることも、胸に刻んでいなければなりません。

現場は、2019年の台風19号被害が甚大で、至る所に土砂崩れが発生、登山道も急ごしらえの足場になっています。
登山道までの公道もその影響を受け、至る所に落石や土砂崩れの形跡があり、やっとこさたどり着きました。
事故後、日本航空がかなりのお金を支出し、登山道は整備されていますが、それでも、急斜面であることには変わりなく、高齢の遺族はいずれ登れなくなります。
事件当時は、片道4時間という登山が必要な場所でしたが、事件後、段階を踏んで、今では片道30分の登山道となっています。

事故の原因としては、一応、事故調査報告という形で完結はしています。
しかし、乗客乗員524名のうち520名が亡くなる、大変凄惨な事件がなぜ起こったのか、何故助けることができなかったのかは、遺族だけでなく、全ての人が考えなくてはならないと思います。
犠牲者のご冥福をお祈りします。
釣り人
釣り人2 年前
初めて慰霊登山をしました。今でも凄惨な事故現場爪痕が残っています。二度とこんなことのないよう祈っています。
Masa SUBARU
Masa SUBARU2 年前
17年10月に訪問。
随分と木々も繁茂し癒えているようにも見えましたが、今だに黒く焼け爛れた切り株が残っていたりと当時の惨状を物語るものも(南東側の尾根には右主翼の先端が削ったとされるU字溝が未だに残されている)。

こんなに山奥の人里離れた寂しい場所で、誰にも看取られず何も遺せず突然520名の方の命が奪われたことを想うと… (時速600km以上の速度で墜落したとされる)

事故の悲惨さを物語る検死に関わる数字を記しておきたい。なお、詳しくは、飯塚訓著『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』を参照されたい。

総数は2065体。うち、完全遺体(一部でも頭部と胴体が繋がった)は492体だが、五体満足な遺体は177体。遺族が見て確認できた遺体は60体のみ。離断遺体は1143体で、身体の部位を特定できるものは680体。他は身体の部位すら不明の分離遺体(骨肉片)。つまり、520人の身体が2065体の遺体となり、最終的に身元が確認されたのは518名で2名は不明のまま。

ただただ亡くなった方々のご冥福を祈ると共に、二度とこのようなことがないように。
H yassan
H yassan2 年前
バイクで行きましたが道中にトンネルが何箇所もあり、どれも照明がかなり暗く急カーブやらS字かあり要注意です。
特に帰りが下りなので危険!!
登山口には駐車場があり停められます。
道中は携帯圏外の場所もあり救急要請も
できません。安全運転でお願いします。
Spanky Kun
Spanky Kun2 年前
事故現場まではかなり急な山道を歩きます。登山道としてはよく整備されています。登山道入り口では杖を無料で借りれますし、急な箇所には工事現場用の手摺や階段を設置してあるしトイレや水飲み場や休憩所まで有りました。でもかなり急な場所なのでお年寄りには難しいかもしれません。行ったのが命日の前々日の8/10だったのでJALの若い社員さんが20人くらいでしょうか泊まり込みで一生懸命整備されていました。事故から36年以上たった今でもちゃんと整備されている事にちょっと感動しました。亡くなられた方々は戻って来ないのですがご冥福をお祈りします。
おやきさん
おやきさん2 年前
昭和60年8月12日の夕刻、盆休みの帰省ラッシュと重なり満員の乗客を乗せて羽田から伊丹に飛び立った日本航空機は、垂直尾翼を失った事により操縦不能に陥り、ルートから大きくそれた御巣鷹の尾根に激突して原型も止めない程に大破した。乗員乗客524人の内520人死亡、4人のみ生存、と言うあっては為らない事故となった。遺族では無いけれど日本人なら忘れてはいけない事故で遺族で無くとも慰霊しなければと登山してきました。当時ニュースを見ていて何故、もっと早く事故現場を特定できなかったのか、救出に向かえにいけなかったのか、とか思ってたけど、今でこそ車一台分通れる、か細い道が通じてるけどネットも無い時代、こんな山奥で救出活動をする事自体困難を極めたかと思います。現在、御巣鷹の尾根には、昇魂之碑、墜落現場跡の碑、亡くなられた方々の墓標、等があります。ここを訪れたなら、空の安全と無念の死でなくなられた精霊に手を合わさずには要られません。どうか安らかにお眠り下さい。南無阿弥陀仏…慰霊登山される方は、道中すれ違い困難な所が多々ありますので、安全運転で。
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