/Naha/史跡

円覚寺跡

日本, 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町2丁目

円覚寺跡
史跡
3.7
44 レビュー
8 コメント
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6P99+8W 那覇市, 日本、沖縄県
+81 98-886-2020
oki-park.jp
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七面鳥放浪記
七面鳥放浪記2 年前
首里城公園内にある沖縄随一の古刹──の跡地です。首里城公園の外れにあって、放生池にかかる放生橋は国の重要文化財ですが、取り立てての案内もないせいかここまで来る人も、ここで足を止める人もほとんどいません。そもそも総門から中には立ち入れず、放生橋も柵のむこうから出歯亀するしかありません。あんまりといえばあんまりな扱いです。
円覚寺は沖縄に臨済宗を伝えた京都南禅寺の僧・芥隠によって開かれました。臨済宗は中国から日本に伝えられましたが、沖縄には中国からでなく日本を経由して伝えられました。芥隠は琉球王朝の外交ブレーンとしても活躍していて、内地と沖縄の文化的、政治的なつながりを示す人物でもあるのですが、現在の沖縄ではほとんどかえりみられることがありません。円覚寺の伽藍は首里城と同じく沖縄戦により灰燼と化しましたが、首里城が過剰なほどに再建されているのに対して円覚寺の不遇さは、何らかの政治的な意図が働いているのではないかと勘繰ってしまいます(ちなみに現在の管理は沖縄県なので臨済宗は無関係です)。
戦災で失われる前の円覚寺の写真からは、内地の古刹にも勝るとも劣らずの堂々たる伽藍であったと推察されます。現状では☆二つ以上はつけられませんが、将来の復興を祈念しています。
K S
K S2 年前
立ち入り禁止となっていました。首里城の菩提寺である寺院。
カーミーKa-mmy
カーミーKa-mmy2 年前
沖縄県指定有形文化財。首里城の北側にある臨済宗の寺院で琉球黄金時代を築いた尚真王が建立。沖縄戦で消失。首里城公園〜龍潭を散策する際にぜひ。
がらん【まこと】“がらん”
がらん【まこと】“がらん”2 年前
円覚寺荒神堂の前には「圓覺禪寺記」碑がありましたが、戦災で諸堂もろとも失われました。碑は残片が県立博物館に保存されています。円覚寺が1492年から3年がかりで建立された経緯が漢文で記されている。碑首には日輪と瑞雲、鳳凰の文様が線刻であしらわれていた(『琉球の石碑と拓本』)。
・圓覺禪寺記 今上國王尚眞佩天縦奇才(略)
大明弘治10 浙東大崇鄭氏臣僧釋 周雍謹撰
花桐啓二
花桐啓二2 年前
琉球王朝に円覚寺とはと思いましたが、意外性があったのでシャッターを切りました。この寺は1494年に創建された沖縄における臨済宗(りんざいしゅう)の総本山で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺であった。寺は禅宗(ぜんしゅう)の「七堂伽藍(しちどうがらん)」の形式で建造され、境内(けいだい)には多くの建物が配置されていた。

中でも仏殿は琉球建築の粋を集めた建築物で、内部中央の須弥壇(しゅみだん)には仏像が安置され、装飾が施されていた。1933年(昭和8)に総門(そうもん)、山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)等計9件が旧国宝に指定されていたが、すべて沖縄戦で破壊された。

その後1968年(昭和43)より復元整備が進められ、現在総門とその両側の石垣、右脇門、放生池(ほうじょうち)が復元された。なお、池にかかる放生橋は往時のもので、国指定重要文化財である。
りんちゃん
りんちゃん2 年前
首里城公園内、無料区間を通れば300メートルの距離を、何故か1キロ遠回りの道をナビされた。しかも、到着しているのに、後200メートル進めとナビする。近くの人に聞いてやっと行けた。
赤嶺剛
赤嶺剛2 年前
首里城公園内 復元してほしいですね。
首里城火災となり、激しく炎上しています。
Tony
Tony2 年前
1494年創建の沖縄臨済宗総本山。第二尚氏の菩提寺であった時代には、禅宗・七堂伽藍形式の建物が数多く建てられていたらしい。戦前に、総門、山門、仏殿などが国宝に指定されたが、沖縄戦で全て破壊されてしまったという。1968年より復元が始まり、総門と石垣、右脇門、放生池(ほうじょうち)が復元されている。当時のまま残る放生橋は国指定重要文化財で、他の建物も再建する計画があるようだ。
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