/Wakayama Prefecture/史跡

安宅本城跡

日本, 〒649-2524 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅106

安宅本城跡
史跡
2.9
10 レビュー
8 コメント
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HFH7+MQ 白浜町, 日本、和歌山県
hb.pei.jp
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山崎博
山崎博2 年前
八幡神社近くの道路下に無料駐車場があります。
登城口から本丸まで15分ほどです。
登城口に説明板があります。
整備は今一つですが、土塁や横掘等が有るのがわかります。
本丸からの見晴らしは樹木でほとんど見えません。
安宅本本城跡ですが、ここは八幡山城跡で安宅本城跡は何城かな城跡から成り立っているようです。
ここの八幡山城跡もその一つです。
Utsugi Kiyoshi
Utsugi Kiyoshi2 年前
紀伊日置駅から歩いて登城。10分ほど歩いて橋を渡った先になります。
ここから歩いて5分ほどのところにある日置八幡山城とセットでまわることができます。
竹下半兵衛
竹下半兵衛2 年前
国史跡🎌...住宅🏡に田んぼ🌾ダケド
道路に案内板、北側の安宅八幡宮に説明文があるよん
(22`4月)
潤之助
潤之助2 年前
この地方を根城に熊野水軍を率いた安宅氏の本拠地跡。現在は田畑と住宅地になっていますが、周りには詰めの城がいくつも残っており、地方豪族の庄という雰囲気は感じます。
Daisuke Kikuchi
Daisuke Kikuchi2 年前
安宅氏の居館跡。石垣が残る。
近くに安宅八幡山城がある。
平阪康仁
平阪康仁2 年前
安宅城は、現在城跡もなし、避難場になっています!
城跡まで登るとかなり広い丘があります。
僕が知ることとしては、昔、安宅城がある時海賊の熊の水軍が安宅城を守る盗賊であったと聞いています!
平阪康仁
平阪康仁2 年前
もう、お城のあとは全くありません。
今は、避難所になっています。
熊野水郡に守られた所でもあると聞きました。
紀州城郭探訪記
紀州城郭探訪記2 年前
🔷歴史
安宅氏は阿波国を本貫地とする小笠原長清を祖とする御家人であり、長清から9代目にあたる頼春が鎌倉幕府の命により熊野海賊の蜂起に対処するため派遣され海賊を討伐し、安宅荘の荘司となったという。 しかし安宅荘は安宅治部大輔俊継が治めていたことから両者に軋轢が生じ、俊継が頼春を殺害したが、後にその息子が仇討ちを行い新しい安宅氏が治め、安宅河内守の代に安宅本城を築城したという。
大永6年(1526年)安宅氏12代当主であった実俊が病没し、嫡子である安定が幼少であったため実俊の弟である定俊が安定が元服するまで家督を預かったが譲らなかったため一族が相分かれての合戦となり、安定が勝利したが、この内証により安宅氏の勢力は大きく衰退した。 慶長19年(1615年)大坂夏の陣、冬の陣に当主であった重春は豊臣方に味方したため、重春は日置正光寺で自刃、嫡子である重次が紀州徳川家の地士として存続した。
🔷現状
安宅本城は日置川河口より約2.5km左岸に広がる沖積平野にある館城であり、詰城を北約600mにある八幡山城とした根小屋式城郭であったと思われる。 現在城跡の西側には堤防が築かれているが、当時は日置川との比高も余りなく、治水面で不安定であり館城としては不適であるが、水軍領主らしく船の水運を優先したのであろう。 白浜町安宅地区の西端は小字「城の内」と呼ばれ、発掘調査では東西250m、南北200mの範囲に14、15世紀を中心とする遺物や、柱穴・土杭などの遺構が確認されており、周辺には屋敷が建ち並んでいたと推測される。 また東西50m、南北30mの長方形の水堀が東から西までを囲み、北側は自然の谷であったと云われるが、現在は平坦な田畑となっている。 なお現在宅地部分と水田の境に当時のものと伝わる高さ1m程の石垣と民家の中に井戸が残されている。 写 真
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