/Iga/公園

芭蕉公園(福地城跡)

日本, 〒519-1402 三重県伊賀市柘植町7423

芭蕉公園(福地城跡)
公園
3.5
21 レビュー
8 コメント
方向の指示
R6PW+GX 伊賀市, 日本、三重県
+81 595-45-9111
kankomie.or.jp
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Lo ho
Lo ho2 年前
駐車場は道路真っすぐ突き当たりに数台分あります。
本丸は方形で、中身をくり抜いたように周囲は大規模な土塁に囲われよく削平されています。

本丸中心に曲輪が周回する縄張でしたが、南東側が名阪国道で削られています。南側は商業施設で立ち入り禁止、北、東側はヤブ化が進み、西のほうだけ見学できました。

本丸土塁の西側~北西側に空堀があり、結構広い曲輪があります。北の曲輪に北に伸びる土塁が有ります。
西の腰曲輪を降りると、深い堀切を挟み西側が館跡(いまは畑)のようでした、。
Hayabusa22 kensan26
Hayabusa22 kensan262 年前
松尾芭蕉の誕生地跡から道なりに東へ1kmの高台が此処の公園(城址)でした。モニュメントの陶板タイルに地元の方々が書き込んだと思える俳句が刻まれてました。すぐ南を[西名阪国道]が走っています。柘植地区は小さな盆地ですが起伏が多く、その真ん中を柘植川が流れています。
琵琶湖ができる以前ここには阿山湖と言われる湖(湿地帯)が有り、甲賀、水口あたりまで広がっていたらしい。伊勢湾からの押し上げ圧力で、だんだんと北へ移動したのが琵琶湖になった説を読んだことがあります。波打つ様な地形が柘植の特徴で、マップでは判らない緩やかな上下の距離感があります。忍者の故郷らしく、城跡(砦館)が数多く方々に見受けられます。村道も迷路の様に屈曲昇降を重ねて現在地確認に困る様になってます。
芭蕉公が生きた元禄時代は何かと話題が多く、戦を忘れた武士も多くなってきた時代で、士分としてでは無く、文人として暮し、諸国をめぐり歩んだ師の人生は充実したものと憧れてしまいます。
(・・夢は枯野をかけ廻る)その句が目の前の景色と重なりました。
ゲラーデアオス
ゲラーデアオス2 年前
名阪国道の伊賀IC近くで、一般国道25号にある看板に釣られて行ってみました。人気のない寂しい公園ですが、芭蕉の句の石碑やトイレ、東屋には投句箱などがありました。2021年4月に行ったとき、桜がきれいでした。
西谷廣
西谷廣2 年前
伊賀市柘植町〔芭蕉公園(福地城跡)〕に芭蕉句碑と芭蕉関連碑が建っている。
① 芭蕉生誕360年記念事業
② 芭蕉翁生誕之地
③ 芭蕉句碑 そはハまた花てもてなす山路かな
④ 芭蕉句碑 古さとや臍の緒になくとしの暮
⑤ 臍の句碑建設記念碑
芭蕉の生誕地については2説ある。
渡辺直治
渡辺直治2 年前
福地城の土塁に囲まれた本丸跡が見事に残っています。園内には芭蕉の立派な句碑があちこちに建っていました。
坂口順子
坂口順子2 年前
結構整備されています。

天正伊賀の後、およそ60年後松尾芭蕉は生まれている。芭蕉200回忌の明治26年、松尾六家を中心に地元有志により、ゆかりの福地城跡に公園として整備された。

芭蕉のルーツは確かにここにあるが、芭蕉は死んで伊賀には戻らず、大津の地を選んだ。
吉岡雄次
吉岡雄次2 年前
公園ですけどお城の跡でもあります。芭蕉の生誕の地の碑も建っています。
石原傳
石原傳2 年前
流石、ワビサビの大家無駄の無い、簡素な環境、自然の中に有りのままに、生きる里山
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