/Asaka/仏教寺院

東圓寺

日本, 〒351-0007 埼玉県朝霞市岡2丁目8−92

東圓寺
仏教寺院
4.3
89 レビュー
8 コメント
方向の指示
RH6W+8G 朝霞市, 日本、埼玉県
+81 48-461-0953
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2022 hy
2022 hy2 年前
真言宗智山派のお寺です。
静かな住宅街の中に建つ、大きな本堂と広々とした境内が特徴的です。
大小様々な石像が建ち、竹林のような緑も多く、小さな滝や池もあり、落ち着いた気持ちになります。
境内の雰囲気も良いので、ゆったりとした気持ちで参拝できるお寺ですね。
桃太郎
桃太郎2 年前
このような住宅街の中に突如現れる巨大な竹林に囲まれたお寺です。天気のよい日はハイキングがてら立ち寄る方もいらっしゃるようです。
H !
H !2 年前
紅葉がとても綺麗です。
毎年な楽しみに訪れます。
大きな銀杏や竹林ともみじが青空に映えます。ちいさな滝もあり散歩にもよいところです。
Sky obiwan
Sky obiwan2 年前
きれいなお寺、整えられたお庭、人をおもてなすのに、素敵な空間がそこにあると思います。
お寺なので霊験あらたかです。
心があらわれます。
憲
2 年前
本堂に薬師如来様、竹林を抜ければ男坂または女坂から不動堂に弁天堂へ。稲荷社も山門近くに。見応え十分で小京都気分✨ご住職はご不在で御朱印はまた今度。ご縁をありがとうございました!
伝承石同好会
伝承石同好会2 年前
【金子塚供養塔】
山門から入って左側にあります。
内容は碑文の通りですが、現在「金子坂下」という地名は無いので、おそらく今のアサカグリーン(ゴルフ打ちっぱなし場)の道あたりか。しかしそこから塩味病院の脇を抜けて朝霞消防署までの道を「金子坂」といい、現存します。
金子坂は江戸時代に名主の金子彦兵衛さんが切り通した坂道だそうです。その金子塚も、あえて困窮時に塚を築くことで仕事を設け、賃金を支払って救民の手段に使用したと伝えられています。碑文の「先人の霊魂また彷徨しないことを憂い…」っていうのも大げさな気がしますが、なかなか立派な塚だったのでしょうね。

【疱瘡石】年代不詳
境内にあると伝えられますが、場所不明。疱瘡(ほうそう;天然痘のこと)にかかった者が、枕元に置いたり、なでたりすると治ったとする石です。しかしこの伝承はすでに失われており、石自体も紛失した可能性が高いでしょう。

【霊薬】江戸時代?
石ではありませんが、民間伝承。
10世暁印が薬師から夢告を受けて調合をしたとされる霊薬があり、「血ノ薬、サマシノ薬トテ妙薬アリ」との記録がありますが、現在その調合や伝承はすでに失われています。

上記のような病気の治療に関する伝承は、医療技術の発達とともに失われつつあります。
髙井一彦
髙井一彦2 年前
中に入ると周りと隔絶され、時間が止まったように感じる、とてもいい場所です。
広いのに草花もよく手入れされ、寺の方も愛想がよくくつろいで見て回ることが出来ました。
火渡りの行事もあるそうです。
更紗空木
更紗空木2 年前
数十年振りに訪れました。参拝時、あまりの変化に戸惑っていたような気がします。まるで初めて訪問したお寺のようでした。
記憶にある東圓寺は、豊かな竹林と手入れがされていない滝です。全体の印象としては、古刹という表現より、廃れているまたは寂れているお寺だったように感じられていました。林の中に建っている本堂に近づくのもはばかれていました。
昔、菩提寺が東圓寺だと思われる人たちが、岡のお不動様と呼んでいたような気がします。

何かを確かめる感覚で、竹林の道を降りて行きました。お不動様の正面左横に出ました。少し見学してから、右手方向にある階段を降りました。「弘法大師御杖堀霊泉」と称されている滝が右隣に見えました。手入れが行き届いていました。かつてよりも水量が増えているようにも感じられました。場所によって、天候により、水量が変化することはいつでもあり得ることですし、数十年の前の印象と比べるとそのように感じられたということです。
この時点で、あの東圓寺だと確信を得ることができました。

案内図を見ると、とても広い敷地に鎮座しているお寺だと分かります。不動坂に隣接する起伏のある場所に建物などが配置されていますので、緩やかな山岳寺とでも言えそうです。

お寺の入口にあった説明文は、「私たちの宗団」のそれでした。真言宗智山派一般の説明になっていますので、「ご本尊も、大日如来を始めとする、曼荼羅諸尊」と記述されているのであろうと思われます。
令和元年にこちらで御朱印を書いていただいた方が公開されているのを見ました。そこにも、ご本尊が薬師如来と記されていました。

つまり、ここ東圓寺のご本尊は、薬師如来と言ってよいと思われます。
山号は、松光山 宗派は、真言宗智山派であり、ご本尊は、薬師如来 です。
(武蔵風土記並びに朝霞市史による東圓寺の縁起によります)

東圓寺の創建年代は不詳です。古くより薬師堂とその別当寺が近隣にあったようです。ところが、何らかの理由があったのでしょう。中絶します。しかし、寛弘年間(1004~1012年)に法院永慶なる僧が、お堂と別当寺の廃亡を嘆き、一宇の精舎(仏堂)を再建。中興の高祖となります。このことによって、薬師堂に安置されていた薬師仏が東圓寺の本尊となったとのことです。
その後、数百年の年月が経過。慶長18年(1613年)に、現在の地に寺を移します。(長い間に幾多の移動があったと考えられます) 堂宇(仏堂)を再建したのは、法院永繁とのことですが、その堂宇が薬師堂であったとの記述はありません。本堂を示しています。今に繋がる法流の開山は、法印栄融であるとしています。

話が前後しますが、長禄・文明の頃(1457年)に、太田道灌がこの地を領有したとのこと。寺の近くに築いた城に薬師仏を借り入れていたが、戻した方が無事幸いとの夢を見て、薬師仏を東圓寺に戻したという逸話があるようです。
(新編武蔵風土記稿並びに朝霞市史を参照)

私見です。東圓寺にとって、薬師如来が極めて重要な御仏であることが分かります。
ここで考えてしまいます。最初に薬師如来が現れて以降、いつの間にか作者が運慶になっていることです。運慶は主に鎌倉時代に活躍した仏師であり、1150年に生まれ、1223年に没したとされています。つまり、いつの段階で薬師如来像が運慶作に変わったのかが不明です。
秘仏とされている薬師如来像が運慶作だとしたら、運慶ファンとしては、是非ともご開帳をお願いしたいものです。(現在、運慶作と認定されている仏像は、31体?だと思われます。各地に、運慶作と称されている仏像が数多く存在していると聞いています。)

幾つかの疑問がありますが、特に東圓寺に限ったことではありません。
若葉の時、紅葉の季節など、時々訪れたいお寺です。朝霞の地にあずま屋があるお寺があってくれることが、何となく嬉しい。参拝の際はゆっくりしていってくださいねと無言で語りかけられているように感じられます。
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