/Kawasaki/仏教寺院

影向寺

日本, 〒216-0041 神奈川県川崎市宮前区野川本町3丁目4−4

影向寺
仏教寺院
4.1
142 レビュー
8 コメント
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HJH9+9G 川崎市, 日本、神奈川県
+81 44-766-7932
yougouji.jp
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サルパラダイス
サルパラダイス2 年前
う〜ん…
ここ「影向寺」も東京都23区の近くに有って、非常に雰囲気の良い古刹です。

ハッキリとした古文書による創建年は、奈良時代の天平12年(740年)に高僧である行基によるとされています。が…
ただ、近年の研究により
それ以前の600年代後半(飛鳥時代中期~後期)には寺院として成立していた事が判ってきました。
(草創は有力在地豪族が私的な寺として建立か?在地豪族の名前は不明との事)

ハッキリとした部分としては
奈良時代に光明皇后が病になりした。そして聖武天皇がこの地に霊石が有る事を知り行基を使わし祈願させた所、光明皇后の病が治ったとの事です。
そして翌年には聖武天皇の勅命により、この地に伽藍がそびえ立った様です。
それが影向寺が栄えた由緒だそうです。

霊石は今も有ります。(写真を撮り忘れてしまったので、ご自分の目で見に行って下さい)

そして見る事は出来ませんでしたが、木造の聖徳太子像なども有ります。太子堂という建物に安置されています。

あとは
幹周り8.0m 樹齢650年のイチョウの巨木が有ります。
一本ものですが、根元近くから幾つかに枝分かれしてしまっています。それでもなかなかの物です。
お寺のお抱えの造園師の方?がちょうど居て話しを聞いた所、上の方約10数mは伐採してしまって有るとの事です。残念。
その他には立派なケヤキの木やサルスベリの木などが有りますね。

とても落ち着く場所ですので是非に。
駐車場は沢山車止められますよ。

自分は父の病の完全回復を祈願して参りました。
井野口KEIGENN
井野口KEIGENN2 年前
2010年の寅年開帳には参加できませんでしたが、2022年の寅年の開帳には念願かなって参拝することができました。
小さな寺院ですが、駐車場が完備されバス等の公共交通機関は充実している為参拝しやすいです。
収蔵庫は、年三回ガラスの扉越しに開帳されていますが、この寅年の開帳のみは扉も開かれて直に薬師三尊・二天像・十二神将を拝することができます。
この度は、薬師如来様から発見された胎内仏もガラスケースに入れられて展示されていました。
お薬師様の姿を思う存分鑑賞したうえ、御朱印と写真集も購入することができとても満足する御開帳でした。
Junji Sugita
Junji Sugita2 年前
影向寺は飛鳥から奈良時代にかけて各地で造られた寺院「郡寺」のひとつ。本堂は県の重要文化財、お正月の今日お披露目をしていた木造薬師如来は平安期のもので、こちらは国の重要文化財。
山門も含め立派なお寺でした。
左官の長兵衛
左官の長兵衛2 年前
残念ながら寅年の御開帳を逃してしまいましたが、初めて参拝することができました。
華美さはありませんが、落ち着いた趣のお寺さんです。
玉木造
玉木造2 年前
▼結構、近所にも名木はあるもんですね。影向寺(ようごうじ)の乳イチョウ。
▼乳イチョウは全国あちこちにあり、乳柱を削った汁で乳が出るようになったという伝承が多いです。
▼イチョウには気根(きこん)という空中に露出している根っこがあるようです。
▼これがイチョウの樹齢とともに数を増やしていき、やがて乳イチョウと言われるような生のパワーを感じられる程の大木になるようですね。
▼ここ影向寺は川崎市内では最古のお寺のようです。
▼天平11年(739年)、聖武天皇は、仲の良い光明皇后が病気になり、深い心配をしていました。
▼そんな天皇の夢枕に、遠く東の国に霊石があるとのお告げがあったのです。
▼喜び勇んだ天皇ですが、夢のお告げだけでは、その霊石の特定は難しいと感じたのでしょう。
▼その前年(738年)に「行基大徳」との諡号を授けた行基は全国の土木事業を先導したことで有名で、全国行脚をしていることから、聖武天皇が彼を呼び寄せて夢告の話をすると
▼「その霊石は、武蔵野国・橘にある影向石のことでしょう。拙僧が出向き恢復祈願をしてまいりましょう。」といつもの行基らしく、71歳にもかかわらずフットワーク軽く奈良からこの地まで足を運ぶのでした。
▼祈願すると、あっという間に皇后の病気は快癒します。喜んだ聖武天皇は翌年740年、ここに伽藍を建てて謝意を表したというのが、このお寺の縁起なのです。
▼ちなみに、フットワークの軽い行基が東大寺・大仏像造営の勧進に起用されたのが、743年です。
▼残念ながら大仏開眼の752年には行基は生きていません。弟子が開眼供養を務めましたね。
▼ここの乳イチョウは推定樹齢600年ですので、さすがに行基の頃をしっているわけではありませんが、影向石はしっかりと1300年に渡り見てきたのでしょうね。
▼乳イチョウは江戸時代に乳の出ない母親が、イチョウにお願いしたところ、「乳柱を削った汁を飲め」とのお告げがあったので、そのようにしたところ乳が出るようになった等の伝承があります。
▼お寺さんの凄いところは、この縁起に見られる天平の甍のような国家的な目線の伝承話と、そこで生活する庶民の目線の伝承話が混在するところですね。
▼その土地土着のものを許容する度量の大きさが、これだけ日本の隅々まで仏教が浸透する1つの大きな要因なのだろうと考えながら、影向寺を後にしました。
さっちん。
さっちん。2 年前
郷土の誇り 今日は桜目当てで足を運んだが、桜よりも裸の600年銀杏が凄かった。見るからにパワーを感じます。歩いて5分のところに枝振りの良い桜がありました
神山久雄
神山久雄2 年前
武蔵溝の口駅から千年のバス停で降りナビで検索して山を越え見つけ参拝して来ました。歴史を感じる素晴らしい処でした。今度は何時になるかなぁ💥
三関浩司
三関浩司2 年前
橘樹官衙遺跡群の範囲にあるとのことでしたので、遺跡から移動してみました。立派な門構えで、白鳳時代、行基が開祖とのこと。中心となる薬師堂は江戸時代の再建でしたが、寺が開かれた当時の場所に建っているようです。
銀杏の大木を始め、境内右手には影向石と言われる巨石があり、これは当時の塔心礎とのこと。
ただ、官衙遺跡との関係であるなら、市がそういう説明板を立てるべきかと思われます。
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