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宝積山 能福寺

日本, 〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39

宝積山 能福寺
仏教寺院
4
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8 コメント
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M59C+6H 神戸市, 日本、兵庫県
+81 78-652-1715
nofukuji.jp
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神戸昴
神戸昴2 年前
JR兵庫駅、神戸地下鉄中央市場前、バス停兵庫大仏徒歩圏内。格式高い平清盛公ゆかりの天台宗寺院で、清盛公がこちらで出家されたことなどもあり、亡くなられた清盛公の遺骨を当時のご住職円実法眼さまが持ち帰られ墓を建立されていました。墓所建立直後、平家の滅亡により、この周辺福原の地は焼き払われたのですが、昭和になり清盛公800回忌を迎えるに当たり平相国廟が建立され現在に至っています。またここ兵庫の他に高岡、岐阜、東京など諸説ありますが、焼き払われた京都方広寺の大佛に代わり、奈良、鎌倉につぐ日本三大佛に数えられる立派な盧遮那仏さまが鎮座されています。他にも大政奉還後の外交問題、神戸事件の責任を取り切腹された滝善三郎公のお墓もあります。御朱印は寺務所にて頂けます。
O. K
O. K2 年前
神戸十三佛霊場として訪問。
駐車場はなし、前の道は駐禁ではない模様だが横のコインパーキングに駐車したが、納経時に短時間なら大仏側の境内に停めてもいいのにと言われた。納経の方は優しくお話し好きそう。なのでコインパーキング代金節約&路駐が嫌な方は電話して確認するといいと思う。
街中に大きな大仏があり景色とアンマッチしているが平清盛の墓所?もあり都会の中の癒しの場所になっているのかな。
とうふひぐらし
とうふひぐらし2 年前
神戸十三佛第八番観世音菩薩が祀られている。町中にあるお寺。兵庫大仏は、圧巻の大きさを誇る。境内はさほど広くはないが、綺麗にされている。写真撮影時に、吉兆の兆しが表れ大変嬉しかった(知らずに撮りなおしても写っていた)。ナビ通りにいくと裏手に出るので、一周しなければならない。駐車場は、境内に入り大仏様の右隣にはいる。
河内のこーちゃん
河内のこーちゃん2 年前
今日は、三宮からハイキングです。
兵庫大仏を見ました。
諸説ありますが、日本三大仏のひとつとされています。
確かにデカイ。
大仏さんの背中も良いです。
I qqq
I qqq2 年前
明治元年2月4日、神戸三宮神社前にて備前岡山藩兵が隊列を横切ろうとしたフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦にまで発展させた、いわゆる神戸事件の責任者となった岡山藩士である滝善三郎正信の慰霊碑があります。この事件により、神戸開港後、居留地を検分していた諸外国領事官との間で重大な外交問題が発生し、神戸の居留地や兵庫港は、一時外国勢力に占拠される事態まで陥ったようで、事件は、滝一人が永福寺にて列強外交官の列席のもとで切腹することで、解決を見たとのことです。もとより、1858年日米修好通商条約の締結により神奈川・長崎・新潟・兵庫が開港となりましたが、兵庫については1863年に開港予定でしたが、京都に住む孝明天皇が最後まで兵庫開港に反対を示したため、外交問題を担った旧幕府が、文久遣欧使節を派遣し、イギリスに対し兵庫開港延期を求めたこともあり、また兵庫開港の天皇勅許が遅れ、ようやく兵庫開港が1867年12月に実現する運びとなった経緯もあり、新政府は、諸外国に頭が上がらなかったでしょう。当時、備前岡山藩の藩兵は、戊辰戦争が開戦されたことで、新政府軍の命令により旧幕府軍と戦うため神戸の町に来ており、こうした中でのトラブルとなり、新政府にとっては、とんだ内憂外患の事態となってしまいましたね。時代は江戸から明治に変わるも、新政府にとって初めての外交能力が試された事件となりました。
Concierge V
Concierge V2 年前
平清盛が権力を握った平安末期に注力した日宋貿易の拠点として整備させた大輪田泊の史跡。

伝承では唐から帰還した最澄が大輪田泊から上陸して延暦24年(805年)に開山とされる。
平安末期の1180年ごろには福原京遷都計画の平家の重要拠点となった平家所縁の寺。

平清盛廟(平相国廟)がある。また日本三大仏に数えられる兵庫大仏が明治時代に建てられた。現在の大仏は平成時代に建てられて比較的新しいもの。
ゆきぷーJamnanifam
ゆきぷーJamnanifam2 年前
11メートルの兵庫大仏は迫力ありました。空いてるので見やすかったです。
ゆう
ゆう2 年前
日本三大大仏
奈良、鎌倉、そして兵庫大仏
三大大仏は諸説あるようですが
私はここの大仏が結構好きです。

今は二代目ですが
初代の大仏が何かファンキーに見えて
親近感が湧きました。

1枚目が初代、2枚目が現在の2代目
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