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景徳院(田野寺)

日本, 〒409-1202 山梨県甲州市大和町田野389

景徳院(田野寺)
仏教寺院
4
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8 コメント
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JRR3+8C 甲州市, 日本、山梨県
+81 553-48-2225
koshu-kankou.jp
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Fuji Ryugen (富士龍源)
Fuji Ryugen (富士龍源)2 年前
甲斐武田氏の第20代※当主・武田勝頼とその家族、そして彼らに最期まで付き添った忠臣らが眠る、武田氏終焉の地。

実家に帰れとの勝頼の説得に従わず、武家の妻として最期まで勝頼に寄り添った享年19歳の北条夫人。
死の間際にこの境内で武田の家宝「楯無」の鎧を身に付け、急ぎ元服式を行なったとも伝わる嫡男・信勝。
勝頼の墓の脇には北条夫人、信勝そして運命を共にした家臣達の墓も並ぶ。
当時はこの寺は無く、地元の僧や民が亡骸を弔った場所に家康が勝頼らを弔う為に創建したとされる。

勝頼らが最期を迎えたのは旧暦の3月11日。現代の暦では4月3日とされるようだが、その頃当地はちょうど桜が見頃の時期にあたる。
勝頼一行にも、例え今際の際でも桜を愛でるひと時があったと思いたい。
武田氏の菩提寺・恵林寺の桜も美しいが、景徳院は少し標高が高いので恵林寺より1週間は見頃が遅い。恵林寺の桜の見頃を逃したら是非、こちらにもお立ち寄り頂きたい。

信玄ファンで賑わう恵林寺や武田神社ほどの人出も無く、静かな落ち着いた場所。境内はいつも綺麗に保たれており、戦国マニア、武田氏ファンのみならず、歴史好きな方には広くお勧めできる寺院です。

(※ 勝頼は甲斐源氏の始祖・新羅三郎義光から数えて20代目、武田姓を名乗り始めた信義から数えると17代目。どちらを取るか文献によって異なる様なので念の為、記しておきます。)
プラハの休日
プラハの休日2 年前
武田氏滅亡の地に立つことができて嬉しくもあったが、それよりも悲しい感情が湧き上がってきた。
恵林寺からここまで車を走らせてきたが、車で来るのもそう楽ではない。
それを当時は馬や徒歩などでここまで来て、そして最後の時を迎えるなど、一体どんな気持ちだったのだろうと考えずにはいられなかった。
武田勝頼は敗軍の将としてやむを得なかったとしても、奥方は19歳、息子は16歳というから、そんな若さで自ら命を絶つなど、もうそんな悲しい時代には戻りたくないと思う。

こちらを訪れる際は、急な坂を登れば景徳院のすぐそばまで行くことはできるが、車もすれ違えないような道なので、近くの駐車場に車をとめて、徒歩で登った方がいいように思う。
雨が降ったりすると苔で滑りやすくなるため、注意して登ってほしい。
Makoto yamamoto Buzzy
Makoto yamamoto Buzzy2 年前
武田家のお墓が有ります。とても綺麗にしているお寺です。皐月も綺麗に咲いている山門は雨上がりの静かなひと時を過ごすのにとても良い空気に包まれておりました。急な階段か、急な山道を登って辿り着ける武田家のお墓を見ると若くて世を去った人の無念さを少し感じ寂しい気持ちにさせます。御参りしてよかったと思います❤️
Kaba kuro
Kaba kuro2 年前
武田勝頼の墓所があるお寺です。
歴史好きな方には色々な物語がある所なので良いと思います。
ナビに入れて行くと細い山道を本堂の裏側の駐車場に案内されますが、下の広い駐車場に停めて階段を登るのがオススメです。
初冬に訪れたため銀杏がたくさん落ちていて、芳しい香りが漂っていました(笑)
Y氏
Y氏2 年前
甲斐武田氏終焉の地‥武田勝頼一族郎党約50名が織田・徳川連合軍に追い詰められ自害した場所。後に徳川家康が菩提を弔うため建立したそうです。当時の厳しさと切なさを感じながらお祈りしてきました。ゆっくり静かな時間が流れています。
Masashi Sonohara
Masashi Sonohara2 年前
武田3代目勝頼終焉の場所で徳川家康が自刀した魂を供養するために建立したお寺。武田家3代天下統一を夢見た墓が、甲州市に有ります。信玄公の恵林寺同様、巡り訪れたい寺院です。
こういち456
こういち4562 年前
武田勝頼とその近習の終焉の地ということですが、紅葉の盛りにも関わらずとても静かでした。
正面の階段は結構急で息が切れました。
2F道秋
2F道秋2 年前
大善寺からバスで来ました。武田勝頼公のお墓があります。来てから気付きましたが確か父方のおじいさんのお墓がある所です。
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