/Fukushima Prefecture/博物館

大壇1号墳

日本, 〒963-7827 福島県石川郡石川町新屋敷

大壇1号墳
博物館
3
2 レビュー
2 コメント
方向の指示
593V+PP 石川町, 日本、福島県
場所の報告
この場所を要求する
Share
レビューを書く
土沢英良
土沢英良2 年前
この古墳の主はほぼ奈良時代直前の豪族だったらしいことは説明板(大壇古墳群のポイント参照)で理解できたが、地理的に見て、阿武隈川の小盆地を治める勢力の一部だったかもしれない。やや時代は遡るが、対岸の中島村には短甲が出土した四穂田古墳(但しこちらは古墳時代中期)があり、同岸には白河市の下総塚古墳もあるので、そういう勢力と拮抗していたかもしれない。いずれにせよ中通りの阿武隈川流域には比較的大きな古墳を築造できる勢力がひしめき合っていたように私は思う。
古墳は比較的保存状態はよいものの、石室はたぶん壊されているのではないかと思う。そしてその石室の石材をリサイクルする形で近世などの供養塔が建てられているのではないかと推察する。近世にこの古墳の前方部にいくつかの供養塔が建てられているのはこの古墳が地域の人々に何やら古代の人が造った塚らしいという認識があったからだろう。盗掘はしつつも畏敬の念はあったと理解したい。地名にも大段とあるぐらいだから、その地名の元になった古墳のいちばん大きいものがこの1号墳であることは間違いない。
鯨影
鯨影2 年前
看板には下記のことが明記されていました。

福島県指定史跡

大壇古墳群
昭和46年4月13日指定
所在地 福島県石川郡石川町大字新屋敷字田上及び焼場

阿武隈川の東岸、南北に伸びる丘陵台地に位置する本古墳群は、前方後円墳三基、円墳六基からなっている。古墳群の中で最大の前方後円墳である一号墳は全長35.5m、後円部径25m、前方部幅21mである。一号墳と同じ方向ををむいて、北側に接している二号墳よりやや小さく、全長22mである。円墳の中で最大のものは四号填で墳丘径25mである。本古墳群は横穴式石室をもち、古墳時代後期(6世紀)に築かれたもので、石川地方で最も大きな勢力をもっていた豪族の墓と考えられる。このように前方後円墳と円墳9基が密集し、保存状態が良好な古墳群は福島県内でも珍しく責重なものでる。又、学術的にも非常に価値の高いものである。

平成6年3月1日 石川町教育委員会
推薦の場所