/Fujisawa/仏教寺院

宗賢院

日本, 〒251-0861 神奈川県藤沢市大庭819

宗賢院
仏教寺院
3.9
18 レビュー
8 コメント
方向の指示
9F23+X3 藤沢市, 日本、神奈川県
+81 466-36-3628
fujisawa-kanko.jp
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Youiti
Youiti2 年前
「鎌倉殿」ゆかりの地を訪ねていますが、今日は宗賢院の裏手に源頼朝の挙兵時に敵対した大庭景親の館があったと云われている「宗賢院」を訪ねてみました。
地味ですが、緑に囲まれ落ち着いた佇まいの堂々としたお寺でした。
宗賢院の立て札には、
「蟠龍山と号し曹洞宗の寺院で永正2年(1505)に開創され開山虚堂玄白です慶安3年(1649)三代将軍家光のとき寺領十石の御朱印を賜り十七箇寺の末寺がありました 本堂前の竜骨堂にまつってある竜骨は雨乞いの霊験あらたかであると有名でかんばつになると近くの村から借りる人が多かったといわれています」
と記載されていました。
寺宝には、大庭景親の陣釜とされる茶釜や面山老師自筆の「相州養命寺記」が伝えられているそうです。
高橋正和
高橋正和2 年前
宗賢院には、大庭御厨の経営を行った「大庭景親」の居館があったと考えられているそうです。また、宗賢院には、大庭景親の陣釜とされる茶釜や、面山老師自筆の『相州養命寺記』一巻、「相州大庭荘」の扁額が寺宝として伝わっています。
後三年の役の勇名を馳せた「鎌倉権五郎景政」が開拓した広大な大庭御厨を治めた大庭氏ですが、源頼朝公を石橋山の戦いで打ち破った「大庭景親」は、その後、富士川の戦いで敗れ斬首されます。
「大庭景親」亡き後は、弟に家督を一旦譲っていた兄の「大庭景義」が源氏方に味方したことで、源氏の御家人として生き残ります。また、富士川の戦いの後、兄の「大庭景義」は、捕らえられた弟の「大庭景親」の助命をしなかったと伝わっています。
「大庭景親」と兄の「大庭景義」は、源氏の戦いに翻弄された感があります。
保元の乱では、兄弟とも源義朝の郎党として戦い、兄の「大庭景義」は保元の乱で受けた傷が元で歩行困難となり、弟の「大庭景義」に大庭氏の家督を譲ります。
平治の乱以降は、「大庭景親」は平家側に付き勢力を伸ばし、兄の「大庭景義」は源頼朝公の挙兵時から味方し、結果、大庭氏の家督を再度継ぐことになります。
源頼朝と義経の確執と同じような兄弟の確執がここで繰り広げられたのかなぁと思いながら、静かな境内をお参りさせて頂きました。
Kyoko hayakawa
Kyoko hayakawa2 年前
静かでとても落ち着けるお寺でした。御朱印も快くお受けいただき、優しいご住職でした。大きな牡丹の花が咲いていました。背の高い大きな木々がたくさんあり、心癒される場所でした。
Barbaroi
Barbaroi2 年前
源頼朝を石橋山の戦いで打ち破り、後に富士川の戦いで敗れ斬首されった大庭景親ゆかりの寺院です。
県道43号からすぐのところにありますが、ひっそりとしていてとても落ち着く場所となっています。
Tatu
Tatu2 年前
住宅地奥にある立派なお寺です
#ヨッシー
#ヨッシー2 年前
実家近くで散歩の途中でよりました。
思いがけず、立派なお寺でした。
ニ條邦通
ニ條邦通2 年前
御朱印を頂きました。専用駐車場もありました。
H M
H M2 年前
とても落ち着ける場所です☺️門前にはとても古く大きな樹木があり感慨深いものがあります🎵入って直ぐ左手にお地蔵さまあり、訪れたときには必ず手を合わせます❗合掌
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